2017年10月30日月曜日

Body 体 Körper


2017年10月27日金曜日

GerichtsverhandlungとClaire Denis

来週、授業で、裁判所の見学に行きます。
ドイツの裁判所、興味ありますね。

内容は、どうやらかなり深刻なもののよう。
5人の子供を持つ女性を殺した犯人の審議ということで、いやはや。


そして、全然違うけれど、別な授業でClaire Denisという映画監督の映画を見ています。
これから、その授業で、essey filmを皆んなで制作し、最終的に、ポツダマープラッツの映画館Arsenal(ベルリン映画祭の会場)でもある場所で上映するということです。

たいへん楽しみです。
いよいよ、学生らしいですね
ありがたいことだ

2017年10月20日金曜日

Kiyoshi Kurosawa

黒沢清監督の「トウキョウソナタ」を見ました。

一度見たことあったけれど、なんだか日本映画が見たくなって見てみました。
やっぱりこれは、震災前の映画だなと"今"思いました。

今だったらこんな表現にはならない。

今の選挙や政治状況がそれを表しているようなことです。

2017年10月18日水曜日

Fiction and documentary

今日は、Thomas Arslanのクラスでのセメスター初日でした。

それを受けてやはり、僕は、当たり前だけど、fictionじゃなくてdocumentaryを作ることを考えていくという、当たり前のところにやっと戻ってこれたような気がしている。


2017年10月16日月曜日

Kunst

最近改めて思うのは、アートを嫌いだ、と学校卒業してからずっと言い続けて、ほとんどアートでしか活動していないような状況にある、ということを目の当たりにして、

僕自身は、アートが嫌いだと思っているけれど、それは愛しすぎてそうなったのか、それに関わる人々があまりにも変で嫌だからそうなったのか、はたまた映画をやりたいのに、映画をやれない状況が続くからそうなったのか、

いやでも、このまま嫌いだと言い続け、そして自分の作品を作り続けるしか僕にはあまりできることがないということ

繰り返しですね

2017年10月8日日曜日

小川プロ訪問記

2017年10月7日「小川プロ訪問記」を見ました。

小川紳介と大島渚が話しているだけというこの1時間の映画(笑)、でも当時の小川プロの状況が伺えてとても楽しみました。小川さんが、「この時代にこんな時代に逆らうようなことして、地獄に行くと思ってます」と言っていました。昔の人ってやっぱそういうこと言うんだなぁ、と勝手にうちの親と比べてしまいましたが、大変良いいインタビューでした。

さて、今日すでに日本は10月8日ですが、山形映画祭での上映です。



2017年10月7日土曜日

小川 紳介監督作品 + 2017年10月8日山形映画祭上映

今日は、小川 紳介監督作品見てきました。

最近、1982年 - 『ニッポン国 古屋敷村』
を見たので、1987年 - 『1000年刻みの日時計 牧野村物語』は二本目です。

山形映画祭には、僕は今いけませんので、そのかわりみたいに見ています。
4時間の映画で、1度休憩が入り、また始まる感じでした。お客さんはほとんどいませんでしたが、僕は、この映画すがすがしく、これからの自分の映画感覚に影響するという意味で、いいものを見たと思っています。

明日は、
『小川プロ訪問記』(1981年)監督:大重潤一郎
を見に行きたいと思います。


さて、あと、34時間後には、
「BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW Omnibus 2011/2016」の上映が山形映画祭であります。

行きたかった〜、香味庵で原一男見たかった〜

明日楽しみです。




2017年10月6日金曜日

Workingmansdeath

再来週ですが、伝説のドキュメンタリー「Workingmansdeath」の制作に関わったハンブルク芸術大学のドキュメンタリーコースの教授 Pepe Danquart に会いに行きます。
楽しみです。
ちなみに、監督のMICHAEL GLAWOGGERは、リベリアで撮影中に2014年に死んでしまったということです。


2017年10月3日火曜日

Title: Didi mtswane weli

Title: Didi mtswane weli
(Deutsch: Ein großes, grünes Tal)
Regie: Merab Kokotschaschwili

グルジアの映画見て来ました。大変貴重な映画で、ネットには情報はあまりありません。
今日のトークでいろいろ知りました。この映画は、完成後2回ほどグルジアで上映されそれから、上映禁止になり、1975年にドイツのこのアルセナールというベルリン映画祭の会場にもなっている場所で、再上映されたそうです。
今日は、その二回目の上映ということでした。つまり、42年目の再再上映ということになります。

グルジアは、当時のソビエトからすごく圧力がかかっていて、タイトルクレジットなどは、ほとんどすべてがロシア語で映画内だけグルジア言語で話されていることでした。また、現在グルジアの映画アーカイブ施設では、約800のグルジア映画すべてを収蔵していて、それは、そこの施設に住んでfilmmakerが管理をしているということでした。それについて話をしている、グルジア人のKhatuna Khundadzeさんは、大変嘆いていました。「国からお金がでない。でもドイツはいつも私たちを助けてくれる。」

監督は感無量という感じで、熱くトークが繰り広げられました。いつもガラガラのアルセナールも今日はほとんど満席で、グルジア映画に対するエキゾチックな魅力に引きよさられたのか・・・。監督は、「映画は生きている」と言っていました。今、MOMAや他の場所で上映がされているそうです。そうですよなぁと本当に。

直前のディスカッションでは、当時のキュレーターでもあった方が来て話をしました。ディスカッションの中心人物は、現在のベルリン映画祭のフォーラム部門のキュレータでもある、Stefanie Schulte Strathaus。(https://www.berlinale.de/de/das_festival/festivalprofil/biographien/biografie_schulte_strathaus.html)

また、アメリカからもゲスト Susan Oxtoby (University of California, Berkeley Art Museum and Pacific Film Archive)が来てました。

今回の再上映のために、しかもドイツ政府からお金が援助されています。

ということで、1975年当時のキュレータと監督のトークの写真をあげておきます。
ちょっと別な話ですが、通訳の人すごかった。すごくできる人なんだと思います。本当に素晴らしい通訳者だと思いました。

左: 当時のキュレーター 真ん中: 監督 右: 通訳者